くずみーのくずかご

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自分について考えてみる

〇自分について

 先の記事で紹介した「社会不安障害と向き合う」というブログで、“現在の自分を形成した過去について考える”ということをやっていたので、自分もこれまでのことについて考えてみることにした。

 

 何事も人のせいにすることはあまりよくないとは思う。しかし、予測するに、僕がこうなったのは母の影響が大きいと思う。

 

 母は、メンヘラだった。子供のころにはそんな概念はなかったからわからなかった。感情的で、何か地雷を踏んだら、幼い僕にはなすすべがなかった。幼い子供にとって、親の力は圧倒的だった。怒られることがとても怖い。顔色をうかがうようになった。

 

 子供は、親を見て育つ。特に、専業主婦であり、共に過ごす時間の長い母が子供に与える影響は多大だ。ネガティブな発言が多かった。時たま死にたいとも漏らしていた。完全に、今の僕だ。

 

 終わってしまった人間形成に文句を言っても仕方がない。

 もう死んでしまった人間に文句を言うのは止そう。

 

 死にたいとぼやいていた母は、若くして死んでしまった。急な病気で、入院のためのシャンプーを買った頃に死んでしまった。

 

 母は、三途の川に出くわして、渡るほうを選んだのではないかと、そんなことをぼんやり考える。

 

 母も、つらかったのだ。僕と同じだ。

 

 僕の人間形成は、きっとこの環境からなのではないかと思う。怒られたり、嫌われたりすることに対する不安が人より強くなり、極端に恐れる。こう考えると、とても納得がいく。

 

 

物事にはちゃんと理由があるようだ。

 

 

 身に降りかかるつらさの原因も、それへの対抗策も何も知らなかった僕は、中学時代に死にたいと漏らすようになった。自分の中だけで、つらさは増幅され、成功はくしゃくしゃに丸められて捨てられる、そんな状態であったにも関わらず、それをそのまま受けるしかできなかったからだ。

 

「まわりの全員と仲良くできなければいけない。」「少しでも嫌われたようなそぶりを見せられてはいけない。」自分の中の、自分への評価基準は、誰にもクリアすることができないくらい高かった。

 

 生活すべてがつらかったわけではない。楽しいこともたくさんあったし、つらさを感じていない時期もあった。どちらかというと、「中学時代でも、つらさを継続的に感じる時期が複数回あった」という方が正しいだろうか。

 

 高校に入っても、この精神的な傾向は変わらなかった。それどころか、僕は典型的な「中学まで成績良い奴」だった。しかも、部活は厳しめの運動部に入った。悪条件が(自業自得だが)重なり、高校からの勉強にもついてゆけず症状は悪化した。初めての数学のテストは100点中16点だった。

 

 朝は4時過ぎに目が覚める。6時半くらいでいいのに。そして吐き気。気持ち悪い。えずく。どうしようもなく泣きたくなる。寝たくても寝られない。時間が来るのが怖い。目覚ましが鳴る。絶望。

 

 遅刻するわけにはいかないので何とか起きる。

 

 こみ上げる吐き気に耐えながら準備をし、学校へ向かう。

 

 こんな日々が続いた。学校に行ってしまえば苦しさは緩和されたような、そうでないような。あまり記憶がない。

 

 携帯を持ち始め、インターネットとのつながりができた。自殺について調べ始め、知識がどんどん増えた。2chで毎日上がる「学校・会社行きたくない」スレを毎日見ていた。

 

 踏切で止まるたびに「あぁ、これに飛び込んだら死ぬのか。死ぬだろうな。死にたいな。」そんな思いが頭の中を勝手に流れた。

 

 

 

 今思えば完全に病気だ。この時期が一番ひどかった。死を思わない日はなかった。

 

 

 

 この後、部活をやめることで自分の時間をとり、別の部活に入ることで良い仲間にも出会い、ある程度の回復は見せることになるが、自分の中にある死にたさは消えることはなかった。

 

そして今。 

 

僕は新社会人という、多くの人が経験する「慣れない環境」「今までとはまるで違う厳しい世界」という、ストレス生産マシーンの中にいるような状況だ。

 

 「忙しいだけではそこまでストレスにならないんだ」

 

 こう話すことがしばしばある。そう、タスクが多いだけではそれがあまりに多くなければ仕方ないという気持ちで仕事ができる。恐ろしいのは、その裏に潜む人間だ。

 

 人間からの圧力。それが一番プレッシャーになる。何なら、ちょいちょい遊んでいてもいいような仕事でも、人からの圧力があるだけで苦痛な仕事となる。

 

 僕は、この圧力を受けた。もしくは、勝手に受けたと判断しているだけかもしれない。

 

 初めての経験であるがゆえに、仕事が遅れに遅れた。近くの人からも、「いつになる?」。これまで助けてくれていた人からも「まだなの?」。偉い人からも「まだなのか」。

 

 自分が頑張ればいいだけの仕事ならもちろんやった。しかし、他の人を待たねばならない仕事だった。他の人にも動いてもらわねばならない仕事だった。こちらが急ぐほど、迷惑がかかる。急いでも、急がなくても、迷惑がかかる。その上、新人に対するものとは思えない分量の、別件の仕事と責任が降りかかってきた。無理だ。

 

僕 にとって、誰かに迷惑をかけることが一番ストレスとなる。もっと突き詰めれば、僕は人から嫌われたくないのだ。迷惑をかけたり、怒られたりして、嫌われたくないのだ。そんな僕に、対等でない、格上の人からのプレッシャーは抜群のダメージを与える。こうかは ばつぐんだ!ギャラドスに10まんボルトを当てるがごとく、僕の精神ゲージは一気に減っていった。

 

 食欲がない。空腹を感じない。朝は吐き気がして食べられない。昼もおなかが減らない。かろうじて、夜は少し食べられる。一日の仕事が終わった安心感だろうか。こんな生活がしばらく続き、体重は6kg減った。

 

 夜が来ると、明日が来るのが怖くなる。朝は目覚ましよりもずっと早く目が覚める。少しでも寝たい。この世界から離れたい。目覚ましが鳴るまでが絶望へのカウントダウンのように思えた。襲い掛かる吐き気。また今日も、あそこへ行かなければならない。また今日もきっと、つらい言葉を投げつけられるんだ。吐きそう。行きたくない。

 

まただ。久しぶりだな。この感覚。昔も体験したっけ。

 

死にたい、死んでしまいたい。

 

そんな思いが思考を支配する。

 

 

つらさが高まると、僕はこうなる。うわべで考えるのではない、心からこう思うのだ。

 

実際に文字にしてみると病的だ。もしかした「本当にこんなことを考えるの?ありえない」と思う人もいるかもしれない。しかし、本当なのだ。

 

 今は仕事が少しだけ落ち着く時期に入ったために気持ちは楽だ。

 行った認知療法が功を奏したのかはまだわからない。

 ころころと状態が変わる分、僕は幸いなことに、症状は軽いのだろう。

 

 僕は今でも、死にたい、と漏らす。

 もう、死を願うことに慣れてしまった。

 「帰りたい」くらいの感覚で「死にたい」と口から出てくる。

 

 

 

 

 こうして思い返してみると、つらいと感じる自分のせいでつらいと感じているような傾向が見て取れる。別に、超過酷な環境にいるわけでもないのに、つらい環境にいる人よりもつらいと感じているようだ。これは、感じ方をなんとかすれば普段の生活も改善されるのではないだろうか。極論を言えば、何も感じない心になってしまうのが一番いいが、それは非現実的だ。しかし、低くなっている心の防御力を、平均値くらいにできれば。全く風邪をひかない体になることはできないが、風邪をひきやすくて困っているとき、下がっている免疫を人並みにできれば…。

 

 10年間の死にたさの先に、ほんのわずかな希望の光が見えた気がした。

 

 

 まぁ、依然死にたいままではあるが。