くずみーのくずかご

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【小説】春への鼓動

20億回。

人間の心臓がその一生のうちに鼓動する回数だと言われている。



「今年の春を過ごせるかどうか、か…」
 心電図と共に無機質に表示された数字をぼんやり眺めながら少女は一人つぶやいた。
  

 12254989、12254988、12254987……

数字は一定のリズムを刻みながら、1つずつ減少している。

 自分以外誰もいない病室。花。“緑高校2年4組一同より!”と書かれた寄せ書き。

コツ、コツ、コツ、コツ
遠くから力強い足音が聞こえてくる。そして、コンコン、ガラガラ…
足音の力強さとは真逆の、やりすぎなくらいな慎重さでのノックとドアの開閉。

もう慣れた光景だった。

「ゆりのさん、採血の時間なのでよろしくね」
「…はい」

痛いから嫌なんだよなぁ。

 外では冷たい風が枯れ葉を煽っていた。




「残酷じゃ、ないですか?」
研修医、と書かれた札を胸に付けた青年は、優しそうな顔を歪めてそういった。
「彼女が望んだことなんだ」
年配の男が険しい顔をして言う。
でも、と言いかけて、やめた。

……

「先天性心筋過衰弱症候群、彼女は一億人に一人の難病だ。」
その病名は、この病院に来るときに聞いていた。極めて珍しい病気の患者がいると。しかし、内容に関しては知らなかった。医学書やインターネットをどれだけ探しても情報を見つけられなかったのだ。その病気の内容を今、院長であるこの男、青島から聞いたのだった。
「心筋は、加齢によって徐々に弱っていき、心不全となるのが普通だ。しかしこの病気はその名の通り、心筋が衰弱していく病気だ。それも、他の人より大幅に、そして、鼓動の1回ごとに。」
青島は淡々と続ける。
「簡単に言えば、彼女は心臓が拍動できる回数が決まっている。健康な人であれば、運動等で心拍数が上がって、心臓の拍動の回数が増えても寿命が縮むことはない。しかし、彼女は違う。心臓の筋肉が極端に弱く、拍動の1回1回によってダメージを受ける。そのダメージは蓄積していき、やがて彼女を死に至らしめる。治療法は、見つかっていない。」
青年は、腹にじわりと黒い影が差すような感覚を覚えていた。
「あの心電図の横の数字は」

「…彼女の心臓が、あと何回動けるか、だよ」



 青年は、バスバスと大きめの足音を鳴らして院長の男と少女の病室へと向かっていた。
 少女の担当医は院長で、心臓医学の権威である青島が行っていた。青年は研修医として、青島について回ることになった。
 病室へと向かう道中、青年は少女について青島から言われたことを思い出していた。

 「以前も言った通り、彼女は心臓が拍動できる回数が決まっている。そのため、心拍数が上がるようなことは極力避けなければならない。絶対安静はもちろんの事、驚かせるようなことや緊張するようなこともNGだ。この足音も、遠くにいるうちから我々の存在を彼女に予測させて驚かないようにするための方法だ。本来なら馴染みのない人間に会わせることすらも避けるべきなのだが、何か新しさが欲しいという彼女の意向をご両親が汲んだというわけだ。」

彼女の生活の苦痛は容易に想像できた。
外を出歩くことすらもできず、新しい出会いもなく。興奮するような話もできない、本も読めない。ぞっとする。自分が、その生活を少しでも良くしてあげられたら。青年は医療従事者としての正義感を燃やしていた。 


「今日は新任の先生を紹介するよ。」
「初めまして、研修医の北川雄大と言います。これから青島先生と一緒にゆりのさんを担当させていただきます。よろしくお願いします。」
「初めまして。木下ゆりのです。よろしくお願いします。」

思ったよりも明るいな、北川はゆりのにそんな印象を抱いた。
目の前で自分の命が減っていく、そんな状況の少女は絶望しているに違いないと思っていたからだ。

「それでは、今回は挨拶だけで。また来るからね。」
「またね、ゆりのさん。」
「はい、また。」

ガラガラ、と扉が閉まる。
一人になった部屋で、ゆりのは自分の心電図を眺めていた。



「…そんなこんなで、僕は医者になったんだ。医者って言っても、まだ研修医だけどね」
「でもすごいですね先生。お医者さん。頭いいんですね。」
「そんなことないよ。受験失敗したりもしたし、大学でたくさん失敗したりもしたよ。」

それでもいい大学に行って、現に研修医として医者の第一歩を踏み出してるし、頭いいじゃないですか。

そんなことは言わない。
北川はそんなことを言いたいのではない、それをゆりのはわかる。
できた子だ、と北川は感じていた。

ゆりのが極力平常心でいられるよう、どんな話題でも落ち着いて、ゆっくり話す。
この子の人生をよりよいものにしたい、そんな思いもあり、北川は空いた時間にはゆりのの病室に足を運んで会話をするようになっていた。
淡々と進む会話。そんな時間を、北川は心地よく思うようにもなっていた。


「これ、なんですけどね」
ゆりのが自分の心電図を、淡々と減っていく数字を指さした。
北川は、ハッと息を呑んだ。


……


「すごいなぁ現代医療。そんな細かい数字まで出せちゃうんですね。」

「あぁ。だが、基本的に私と一部の医者にしか見えないようにしているよ。」

「それ、私に見えるようにできますか。」

「ゆりの、何を言っているの?」

「私の心臓があと何回動けるか、私に見えるようにしてほしい。お母さん、そういう事。」

「ゆりのちゃん、そんな残酷な仕打ちは、我々にはできないよ。」

「自分の命があとどれだけかを知ることで、それを意識して有意義な過ごし方ができると思うんです。それに…」

「それに?」

「もうすぐ死ぬのに、いつ死ぬかわからないのが、こわい。」

「ゆりの、そんなこと言わないで」

「死がすぐそこまで迫っているのに、いつ襲われるかわからない気持ち、わかる?この生活がいつまで続くかわからない気持ち、わかる?」




「そうやって無理言って、これを付けてもらったんです。」
ゆりのは心電図を見やる。
北川は何も言葉を返せなかった。

「あ、すみません。なんでこんなこと話しちゃったんだろ」
「いや、話してくれてありがとう。」
「少し自暴自棄になってた部分もあったんですよね。もう死んじゃうんだから、って。でも、よかったと思います。この数字を見てると、落ち着くんです。自分がいつまで生きられるかわかるから。」

僕が何とかする。
君の病気を治す方法を見つけてみせる。
北川はそう言いたい気持ちでいっぱいだったが、言えなかった。
しっかりと現実を見据え、死へのカウントダウンを目の当たりにしている少女に向かってそれは、最も残酷な言葉だったからだ。


「一緒に、生きよう」
絞り出した言葉。だが、心からの想いだった。

外はもう、雪が積もっていた。



「北川君、ゆりのちゃんと会うのをやめてくれないか」
一日の業務が一通り終了した頃院長室に呼び出された北川に、それは、突然の宣告だった。

「どうしてですか…!」
押し殺した声で北川は答えた。
「君がゆりのちゃんの病室に通うようになってから、彼女の拍動のペースが上がっているんだ。明らかにこれまでより早くなっている。」
「どうして…心拍数を上げるようなことはしないよう努めてきた筈なのに…」
「とにかく、だ。もう、会うのはやめるんだ。」
「青島先生!あの子は、あの子は!」
「このままだと!」
青島は北川の言葉を遮った。
「このままのペースで彼女の拍動が続くと、彼女は春を迎えられないまま、亡くなるだろう。君は、彼女を殺すことになってしまう。」
何も、言えなかった。
しばしの沈黙の後。
「少し、時間を下さい。」
「よく、考えてくれ。」

失礼します、と小さくいい、北川は病院を後にした。



雪の降りしきる中北川は自分のアパートに帰り、頭を抱えた。
 
彼女の生活はまた元に戻ってしまう。
自分が医師をやめて一般人として会いに行ったら?
他人の、ただの一般人が重病患者の部屋に通してもらえるわけがない。
彼女のそばにいてあげたい。
しかしいられない。
いてあげたい?それは、自分が医師だから?
いてあげたいのではなく、一緒にいたいのでは?
それは、自分の個人的な感情?
彼女はそれを望んでいるのか?
自分が彼女と一緒にいたい、なんとかしてあげたいと思うだけで彼女はどう思っているかわからない。
でも、笑顔を見せてくれた、楽しいと、静かに笑ってくれた。あれは?
自分が会いに行くことで彼女の寿命が縮んでいく、それでいいのか?
彼女には、生きてほしい。
どうしたら。


外の色がうっすらと変わってきていた。



「雪が深くなってきましたね。外がまっしろ。」
ゆりのはいつも通りの落ち着いた声で話していた。
「そうだね。最近は朝起きるのがつらくてね。」
青島が返す。他愛のない会話。
「じゃあまた、ゆりのちゃん。」
「はい。」
青島が病室を出る。

「あ、お母さん」
「あ、どうもこんにちは」
「あぁ先生、こんにちは」
入れ替わりでゆりのの母が入ってきた。

「もうすごい雪だったよ。」
「そうみたいだね。」
「車も雪に埋まっちゃって。」
「大雪だね。」

「北川先生、いなくなっちゃったの寂しいなぁ」
「仕方ないよ、研修期間が終わっちゃったんだから。きっと別の病院で立派な先生になってくれるよ。」
「お別れくらい言ってくれてもよかったのになぁ。」

「私ね、北川先生が来てからすごく楽しかったんだ。いろんな話をしてくれて、一緒に笑ってくれて。私もつい自分の事いろいろ話したし。今まで何もできなかった生活だったけど、北川先生が来てからは、毎日楽しくて、話をするのが楽しみだったんだ。」
遠くに話すように、ゆりのは続けた。
「会いたいなぁ。また生活が、まっしろになったみたい。」
心電図の数字は、桁が変わっていた。



「もう数字、大分減っちゃったなぁ。」

気持ちのいい冬晴れの昼。どこか他人事のようにゆりのはつぶやいた。

「これ、もうやめない?見てるのがつらいよ。」
「ううん、もう、これがないと怖いんだ。」

「春、迎えられないかもしれないなぁ」
「そんなこと言っちゃダメ。私もお父さんも、あなたに生きていてほしい。だから北川先生のことも」
「え、北川先生?」
「ううん、何でもない。まずは春を迎えよう。」

「ねぇお母さん」
「んー?」
「何か隠してる?」
「なんで?」
「北川先生、お別れも言わずにどこかに行っちゃう人じゃないよ」
「きっと先生も寂しかったのよ、お別れを言うのが。」
「先生に会いたい」
「先生も忙しいんだから、無理言っちゃだめよ」
「…」

「仕方ないよね…。あ、そういえば。お母さん、青島先生に訊きたいことがあるんだけど…」
「わかったわ、呼んでくるね」

しばらくして、病室に青島がやってきた。
「どうしたんだい、ゆりのちゃん」
「北川先生に、会いたいんです。」
「ゆりの、無理は言っちゃダメって…」
お母さん、とゆりのはぴしゃりと言った。
「お母さんね、『北川先生に会いたい』って言ったら『忙しいから』って、すぐダメだって言ったけど『青島先生と話がしたい』って言ったらすぐ動いてくれた。青島先生だって忙しいよね。しかも偉い先生だし。でも、北川先生の時みたいに忙しさを考える様子もなく動いてくれたよね。」
「ゆりの、それはただの偶然で、青島先生がいるのを知ってて」
「それに」
ゆりのは続けた。
「北川先生は、私に『一緒に生きよう』って言ってくれた。研修がすぐ終わって、すぐいなくなっちゃうような人が言う言葉じゃない、北川先生はそんな人じゃない…!」

「ゆりの。私とお父さんはあなたの親なの。誰よりもあなたのことを大事に思ってる。あなたが死んでしまうなんて、嫌なのよ。だから、お父さんと相談した結果、こうすることに決めた。黙っててごめんなさい。でも、北川先生が来てからあなたの鼓動は早くなっていた。それを黙って見ていることなんて、できなかったのよ。お願い、わかって。」

「お母さんこそわかってよ!心臓を気にして何もできない生活。本当に“ただ生きているだけ”。その中で、北川先生が楽しみをくれた。その楽しみもなくなったら、私はどうすればいいの?ただそこに存在しているだけで何になるの?そんな生き方つらいだけ。ただ死ぬのを待ってるだけじゃん!私は何のために生きてるの?それなら死んだ方がマシだよ!」

「ゆりの!落ち着いて!」

ゆりのは息を切らしていた。心電図の数字は、勢いよく減り続けていた。

大人しいゆりのがここまで語気を荒げた姿を見るのは、長年ゆりのの担当医を務めた青島ですらも初めてだった。

「ゆりの、あなたとお父さんと、3人で、家族で話をさせて」



その日の夜、ゆりのの父が病室にやってきた。

「ゆりの、それが、お前の考えた結果なんだな」
「うん。お父さん、お母さんもごめんね。私のことを思ってくれて言ってくれてるのに。」
「そうか。」
落ち着き払った声で続ける。
「悪かったな、ゆりの。母さん、ゆりのの好きにさせてやろう。」
「…」
ゆりのの母は押し黙る。
「お前の人生だ。お前がそこまで真剣に考えた結果なら、何だって受け入れる。それも親だ。」
「お父さん…」
「もちろん、お前には生きていてほしいよ。それは心から思ってる。けど、お前にいい人生を過ごしてほしいと思っているのも本当だ。そうだろ、母さん。」
「そうだね…。ゆりの、ごめんね。」
「私こそ…。」
「先生の方には俺からお願いしておくよ。…ちょっと煙草を吸ってくる。」
「いってらっしゃい。」
ガラガラ、と扉のしまる音。
「珍しいね、お父さん、私といるときは滅多に煙草吸いに行かないのに。」
「たまにあるのよ。そっとしておきましょう。」
「うん。」

病院の外、男が一人、泣いていた。



「北川君、ちょっとこっちの病院まで来てくれないか。電話では話しづらい。」
北川は青島に呼ばれた。北川は、近くにある別の病院で研修医として働いていた。

病院での業務を無理矢理終わらせ、日が暮れかかる頃に北川は青島の病院へと向かった。

「ゆりのちゃんと、一緒に過ごしてやってほしいんだ。」
青島は北川にこれまでのことを話した。
「それが、ゆりのちゃんが望むことなんですね。」
「あぁ、そうだ。」

走り出しそうになるのを堪え、大きな足音を立てながらゆりのの病室へ向かう。
何年も時間があいたわけではないのに、とても久しぶりのような感覚。
またこれまでと同じように迎えてくれるだろうか。

病室の前に着き、気持ちを落ち着けてそっと扉を開ける。
「ゆりのさん」
「先生!」
ゆりのは北川に抱き付いていた。
「先生、どこ行ってたんですか」
 「ごめんね。」
 ゆりのの早まった鼓動が伝わってくる。北川は、優しくゆりのの頭を撫でた。
 その日は、話の途切れない、長い夜になった。



北川とゆりのは一緒に過ごした。
北川は、研修医としての仕事を、青島を通じて全てストップしてもらい、ほとんど付きっきりのような状態でゆりのとの時間を過ごしていた。

一瞬の沈黙が流れたとき、ゆりのが口を開いた。
「先生」
「ん?」
「私…」
「うん」

「死にたくなくなっちゃった。」
「うん。僕も君に死んでほしくない。」
「先生に、もう会えなくなっちゃうなんて、寂しい。」
「僕もだよ。」
「…寂しい。」
ゆりのの目から、涙が1粒落ちた。その目は、まっすぐ前を向いていた。
「これ、やっぱり見えないようにしてもらおう。先生、気にしてるでしょ。」
「…まぁね。」
 
 淡々と数字のカウントダウンを続ける心電図はその日、撤去された。
 最後に北川が見た数字は、もう、残り少ないものだった。





暖かな日差しが差していた。
雪が溶け、春が訪れていた。

「あ、北川先生。」
気持ちの良い日光の中、北川の背後から声をかけたのは、ゆりのの母だった。
「あ、お母さん。こんにちは。」

「どうしたんですか、その花。綺麗ね。」

「あぁ、これですか。ここに来る道中、咲いてたので摘んできたんです。ゆりのちゃん、春を待ち遠しそうにしてたので、きっと喜んでくれると思って。」

「まぁ、そうなんですか、ありがとうございます。あ、では、私はこれで。」

「はい。それでは。」

ゆりのの母と別れた。
そして、北川はしゃがみこみ、口を開いた。

「ゆりのちゃん、元気?綺麗な花が咲いてたから摘んできたんだ。もうすっかり春だよ。」

北川は続けた。

「僕、すごい医者になってたくさんの人を救えるようになるから。見てて。」



そう言って北川は

手に持っていた花を目の前の墓に備え、

その場を後にした。