〇精神を改善しようと思ったきっかけについて
ある時ふと、「今の自分の状態は異常だ」と思ったのがきっかけだった。
つらい。とにかくつらい。精神のつらさが一定値を超えると、僕は救いを求めてGoogle検索をする。「気分 晴れる 薬」「ストレス 発散」「鬱 改善 食べ物」等。こんな検索をしだすと、「あぁ、自分は今弱っているんだ」となんだか客観的な視点で自分を見たりする。
しかしそう簡単に改善されるなら鬱に悩む人はたくさんいないし、日本人の自殺率も年間3万人なんてクレイジーな数字を叩き出したりはしないだろう。
「そういえば、いつから僕はこんなんだろう」と考え、昔の記憶をたどってみると、「死にたい」と口にした一番古い記憶は中学生の頃だ。
そうなると、約10年だ。僕が死にたいと思いだしてから約10年だ。え、10年!?10年間も死にたいと思ってるの!?なんてヤバい奴だ。異常だよ。明らかに異常!
いや、冷静に考えても異常だ。確かに、幸せで、死にたいなんて感情を忘れていた時期もあったので正確には10年ではないかもしれないが、それでもだ。
嫌な10周年アニバーサリーを勝手に迎え、ここで初めて自分に精神状態が「ただひたすらにつらい、鬱(な感情)だ」という認識から「異常だ」という認識に変わった。その認識はつらいものではなく、ストンとおなかの底にはまるような感覚だった。あー、確かに異常だ。なんで今までそう思わなかったんだろう。そんな感じ。
自分が異常だと自覚した。そして現状が非常につらい。そうなったとき、まず何をするだろうか。例えば風邪をひいたら。風邪で、つらい。今は健康とは明らかに違うイレギュラーな状態だ。そんな時、どうするか。
病院だ。病院に行こう。風邪もつらくなったらまず病院へ行く。
でも薬は怖いからいやだ。ちょっとカウンセリングしてくれるだけでいい。ちょっと指針をくれるだけでいいんだ。自分に合うかとか、薬とか不安事項もあったが、薬は嫌なら飲まなければいい、カウンセリングは、嫌なら意見をうんうんと言って聞き流せばいい。大丈夫。
ネットで、通院可能そうな、かつ、投薬はあまりしなくてカウンセリングしてくれそうな病院を探した。ネットは便利だ。どんな理念で、どんな方法で、どんな価格で、治療を施してくれるかがすぐにわかる。きっと病院の方も、いろんな人に質問されるから大変なのだろう。
ここは良さそう、と思う病院をピックアップ。とりあえず、こんな自分でも行っていいのか訊くだけでもいい。あわよくば、予約できればいい(精神系の病院は予約制を採用していることがほとんど)。電話をかけるのもちょっと怖いけど、あっちは自分のことをわからない。電話越しなのだ。変なことを言って電話を切ってももただのいたずらとして流される。大丈夫。電話をかけた。
「初めての方ですか」
「はい」
「おいくつですか」
「今年で23です」
「すみません、今月はもう予約いっぱいになっておりまして…」
「あ、そうですか、わかりました。ではまた改めてご連絡します」
おいおい今日は月の上旬だぞ。せっかく色々調べて「ここだ!」と思ったのに。あとなんで年齢を訊いたんだよ。
他にも病院を調べて、「カウンセリングはやってますか」「予約状況はどうですか」と電話をかけた。しかし、結果は同じだった。予約がいっぱい。精神状態で困っている人がどれだけいるんだよ。ここは地方だぞ。朝の電車中の人口≒昼間の山手線の中の人口、くらいの地方。そんなに人がいるわけではないのに。現代社会の闇を見た。ツイッターでよくしてくれる人によると、どこも1か月待ちは覚悟した方がいいらしい。
僕の精神も異常だが、この状況も十分異常だろう。感染力の強いインフルエンザで病院の予約がいっぱい、とかならわかる。しかし、精神だ。感染は基本的にしない。「死にたい」と言って引かれることが多いことから、死にたいような人の方が少ないと思っていたのに(もちろん鬱以外にも精神疾患のある人もいるので一概には言えないが)。病院がいっぱいで困った時にすぐ行けないなんて。僕は今辛いんだ。1か月あとの精神状態なんてわからない。ちょっと楽になった時に診察の日が来るかもしれないじゃないか。そうしたら「割と健康なのに病院に来た、どうしたらいいかわかんない奴」じゃないか。
「もういいや、変な奴だと思われてもいいから病院に行こう。行かなきゃ。じゃないと治らないんだ。」と思い始めた頃、仕事が一段落してきた。「今日予約しよう」と決めていたのに、忘れた。あ、少し回復してる。
そこで思った。
病院は、行っちゃダメなところでもないし、行かなきゃいけないところでもない。
行きたいと思ったら行けばいい。
とりあえずよくなる方法の知識だけでも、と思い色々調べていたところ、2つのサイトに出会った。
「社会不安障害と向き合う」(URLは、行動のきっかけとなったページ。)
オーストラリアに住む日本人女性が、「社会不安障害」という障害を治療していくブログだ。精神治療を行う過程が記されているので非常に参考になる。特にこのURLで紹介した「希死念慮と向き合う」という記事が非常に共感できる。
このクソ長い文章を書き始めたのも、このブログがきっかけだ。
こうして体験や得た知識を教えてくれることで、助かる人間がいる。
自分と同じような気持ちを持った人が、しかも自分より重い症状まで持ち合わせた人が、こんなにも現実的に回復したのか。よくある劇的感動回復ストーリーなんかじゃない。とても現実的だ。なるほど。病気は、治るんだ。
もう一つは、今調べても見つけられないのでURLを貼ることができない。
内容は、元々一般企業で働いており、鬱病になった人が、“抗鬱剤の副作用が鬱の症状と似通っており、鬱なのか副作用なのかわからなくなる”ということで薬をやめ、「自分が自分の専門医になればいい」と思い立って勉強し、資格を取って精神医療の職に就いた、というものだった。
「これだ!」
正解を見つけたような感覚だった。そうだ。今の自分は病気の可能性もあるのに、その病気について何も知らない。原因も、対策も。
風邪をひいたとき、軽い症状でもすぐ病院に行くだろうか。軽い症状なら、睡眠を多めにとったりビタミンを多めにとったり、部屋の湿度を上げたり、まず自分でやることがある。それで風邪が治ってしまえばそこで解決なのだ。別にすぐに病院に行ってはいけないというわけではないが、病院がいっぱいであればまず自分でできる方法で回復しようとするだろう。これだ。自分なりに納得のいく答えの見つかったこの時、僕はびっくりするほどポジティブだった。
僕はこれまで知識がなさ過ぎたのだ。自分に襲いくるつらさにただただ殴られ、負けるだけ。つらさに対抗する力がなかった。
仮にこの「知識を付ける」という方法が、自分の状態の改善につながらなくても、リスクらしいリスクはない。それ用の本の代金くらいだ。別に高級な本を買う必要もないし、いやならやめてもいいし、誰も文句言わないし、単純に知識はあって困るものではない。
やってみよう。自分が今より幸せに過ごせるかもしれないし、同じように苦しむ人を救う力がつくかもしれない。
自分の事すらままならないのにまだ他人のことを考えている。
僕はいつだって承認欲求おばけなのだ。
これが、僕が行動を始めたきっかけだ。
簡単に書けば
・鬱症状から回復したかった
・病院がいっぱいで、治療に関する不安もあった
・ネットを見て「自分で回復できる知識を身に付けよう!」と思った
という事だけなのだが、ここまで冗長に書けるとは、我ながらあきれてしまう。